理事長所信

理事長所信

 

はじめに

 2017年6月、今上天皇の退位を認める特例法が成立した。天皇の退位に伴って、まもなくわが国は平成の終焉を迎えることとなる。明治維新から150年もの月日の流れの中で幾度となく訪れた「維新」と呼ばれるであろうとき。和訓で「これあらた」と読むこの言葉は変革を意味する。平成の終焉は、果たして次代への維新となりうるのか。それは我々が維新へと向けて一歩を踏み出すかにかかっている。

 何も臆することはない。私たちは、先人たちが残してくれたこの青年会議所で同志とともに愚直なまでの意気と情熱をもって「誰かのために、何かのために」事を成せば良い。そうすることこそが、維新への第一歩へと繋がると確信している。さあ、歩き出そう。

次代のまち

 少子超高齢社会を迎えているこの日本において、その事象は西尾市も例外ではない。西尾市では5年前と比較して人口こそ2,000人程度増えてはいるものの、65歳以上の人口は6,000人近く増えている。西尾市の試算では、2060年には老齢人口は32.5%、生産年齢人口が55.7%となり、それは即ち地域経済の減少につながる大きな要因といえる。また、2018年度より普通交付税の合併算定替が段階的に引き下げられ、西尾市の税収が減ることは確実であり、行政サービスの低下も喫緊の課題となるのは明白である。2016年に日本創生会議・人口減少問題検討会が発表した「消滅可能性都市」の報告は衝撃的であったことは記憶に新しいが、西尾市がそこに名を連ねることがあっては絶対にならない。光明としては西尾市へのファミリー層の転入の増加や出生数が死亡数を上回るなども示されており、この地域が自らの強みと弱みを理解しつつ、定住者や滞留人口を増やす方法を地域ぐるみで考え、行政だけに頼るのではなく、産官学民連携による運動が不可欠であると考える。言うなれば、地方創生の一端を担うのは我々青年会議所であることを自覚し、我々のもつネットワークを活かし、新たな西尾市を創生していくビジョンを考え示していく必要がある。

 
次代の企業

 人工知能の発達により多くの仕事をロボットができるようになる時代に突入していく中で、未来に永く生き残ることのできる企業とはどのようなものであろうか。企業にはビジネスという自社発展の側面は勿論のこと、社会的存在意義ともいうべき社会のためにことを成す側面があるはずだ。近年では自社の利益を追求するあまり、社会に対しても虚偽の表示をしてしまう事例が多く発生している。また、「ブラック企業」と呼ばれる、低賃金で長時間労働を課し、必要がなくなれば離職に追い込むなどの、自らの家族と同義ともいえる社員を蔑ろにするような企業の存在が問題視されている。松下幸之助の名言「企業は社会の公器である」との一説はあまりに有名であるが、自社のためだけの経営ではなく、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」に加えて、そこに集う「社員よし」を含めた日本古来の「心」ある経営を、青年経済人として自身の企業を総点検することで、社会の公器となりうる地域企業の発展に寄与する必要がある。

 
親世代の責任

 いじめ問題を大きな一因として、子どもに対する道徳教育の重要性が見直され、2015年3月の学習指導要領一部改訂により、道徳が特別の教科として、小学校では2018年度、中学校では2019年度より実施されることとなる。この教科化により一定程度の普遍的な倫理観の醸成は可能になるかもしれない。しかし、学校教育にのみその責任を押しつければすむ問題ではない。道徳教育は、「家庭」、「地域社会」、「学校」の3つの連携が重要だと考える。振り返れば、我々が幼少の頃、親は勿論のこと、近所の大人たちは、道理に外れた行いをする子どもたちを我が子のように叱ってくれていた。そして、それが道理に叶っている限り、文句を言う親も少なかった。そこには、家庭そして地域による道徳教育が既に行われていた。学校教育とは本来、家庭や地域で健全な育成がなされている前提で行われることによって、なお一層、子ども達に伝えることができると考える。「子は親を映す鏡」との言葉どおり、子どもは親の背中を見て育つ。親世代である我々から道徳心に即した行動をしていれば、子どもたちは自ずと同じことを繰り返してくれるはずである。次代を担う子どもたちに親の背中で他者を慮る道徳心を示し、伝えていくことのできる「親学」を見つめ直し、子どもたちに示す機会をもたなくてはならない。

 
国民意識の喚起

 2016年参議院議員通常選挙の結果、我が国において初めて、改憲に賛成の立場を表明する国会議員の数が衆参両議院で3分の2以上となり、憲法改正発議の条件が整った。また、スケジュールありきではないと発言を修正しながらも、一度は施行年までを明確にした憲法改正についての首相の発言からもその議論はますます加速していくことは間違いない。2019年12月の衆議院議員任期満了時期を含めて考えるならば、発議のタイミングは、数える程しかないはずであり、憲法改正の国民投票は目前との見方もある。
1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行され、70年の節目を迎えた現行憲法であるが、当時の時代背景と現在の時代背景には大きな隔たりがある。外交や安全保障の観点からの国内外からの驚異への対処や東日本大震災の教訓から考える有事の際の国民の生命そして権利と自由を護るために必要なこと、そして技術革新により訪れる未来の新たな世界に対応するためなど、憲法改正が真に必要なのかを含めた上で、次代を生きる人たちに誇れる国を残すために、その責任を全うするべく、我々は準備を怠ることなく国民としての意識を喚起していかなければならない。

 
多様な個性を組織の強みへ

 政府が掲げる未来投資戦略2017の中にも取り上げられる「ダイバーシティ」という言葉がある。多様な人材を活用しようという考え方を表しており、異なる個性を受容し、互いの強みを活かす思考をもつべきであり、今後ダイバーシティマネジメントの重要性はますます高まってくると考えられる。これを青年会議所に置き換えたときに、県下はおろか全国でも有数の会員数を誇る西尾青年会議所には、多種多様な職業や能力をもった人材がいるものの、果たしてこの多様性を活かしきれているのであろうか。しかしながら、我々は常にJCIクリードの一説でそのことを唱和している。

「That earth’s great treasure lies in human personality=人間の個性はこの世の至宝である」。

会員それぞれの多様性を活かせる組織づくりを今一度考え、実行していく必要がある。
我々の運動を市民に拡げていくためには当然ながら先に掲げた多様性をもった個性の集団を、価値観を共有する一つのチームとしてまとめ上げ、機能させることが必要である。人の考え方はまさに十人十色である。しかし、各々が己の考えにのみを基軸において行動してしまえば、どんなに有能な人材の集団でも、チーム力は発揮できず、烏合の衆になってしまうだろう。矛盾するようではあるが、人材の多様性がなければ青年会議所の若き力強さは生まれない。会員の多様性を維持しながらチーム力を発揮する。この難しい取り組みを成功させることこそ、我々JAYCEEが求められ、身につけるべきリーダーとしての資質ではないだろうか。

誇りある組織であるために

 公益法人制度改革により、収支計算中心の会計から損益計算中心の会計へと変更をされ、それによって予算準拠主義からの脱却が図られてはいるものの、青年会議所においては、予算における重要性はいささかも変わっていない。そこには透明性と公益性または共益性、そして、会員の大切な会費を使わせていただくという高い意識を兼ね備えた審査を実施する必要がある。しかしながら、近年はこれらを疎かにしているように考える。これを踏まえた上で、諸会議運営についても、これまでの方式を採用しつつも、効率的且つ効果的な本質を突いた議論が可能となるよう進化を模索していくべきである。我々は61年に及ぶ蓄積された変わらない本質を受け継いでいる。その本質を尊重し堅持しながらも、その中に新しい変化を取り入れていく不易流行の思想は大切にしていかなければならない。運動を発信するには組織運営が肝である。なぜなら、その肝がしっかりしていなければ、組織の体を成しえず、効果的な運動を発信することなどできないからだ。

組織を次代へつなげるために

 会員拡大とは、青年会議所において創立以来続く継続事業であるといわれる。そして、会員拡大は企業経営と同じである。商品は61年間変わらず青年会議所そのものであり、売り手は我々会員である。青年会議所がどのようなメリットを入会候補者に提供でき、それがどのように地域を変える源になるのかを自らの原体験を元に熱く語ることができれば、商品の価値は伝わるはずだ。仮に原体験がまだないのであれば、己の理想を大いに語り、その理想に向けてただひたすらに努力し、価値を伝えられるようになればいい。そのためには会員拡大の意義目的を共有し、綿密な計画から生み出されたぶれない目標を軸に行動を起こし続けることが重要である。これらの一連の流れを愚直に実践し、会員拡大の本質が見えた瞬間、我々は胸を張って青年会議所を語ることができる。お互いが傷を嘗め会い組織の愚痴を言い合うような団体であれば必ず衰退する。入会候補者にとって我々の行動や発言が青年会議所そのものであることを忘れてはならない。
 どのような組織においても適切な人を得ることで発展していく。長い歴史や伝統またはすばらしい技術をもっていようとも、適切に受け継ぐ人がいなければ、それは衰退の一途となる。受け継ぐべき意志を次代へと継承する受け皿が必要だ。会員の「増」と「強」を両輪とできたとき、我々の運動は永続的に加速し続けるはずだ。

価値ある組織であるために

 1957年7月、この西尾の地に青年会議所の灯をともすべく設立趣意書を掲げたときから、西尾青年会議所の目的は「郷土における活動をとおした日本の発展のため」そして「世界の平和と人類の発展に貢献するため」と明確に「誰かのために、何かのために」と謳われている。その目的の本質は61年経過しても全く色褪せず、明るい豊かな社会の実現のために西尾青年会議所がその活動を紡いできたことはまぎれもない事実である。しかしながら、我々の運動、活動に対して青年会議所が行っていると認知していただけている市民がどれくらいいるだろうか。我々の運動や活動は単年度制であるがゆえに、その時勢に応じた問題探求をする結果、その発信が例年同じであるとは限らない。そのことが原因となり我々の価値観が市民に伝わっていないと考える。先にも述べたように、我々の目的は62年目を迎えようとも変わらず一貫性をもっている。その一貫性こそが我々の価値観であり、それがポジティブに市民に認識されたときに、西尾青年会議所は「ブランド」として確立するはずだ。我々はこれまでの固定観念にとらわれない方法によって、西尾青年会議所の価値観を市民に伝えるブランディングを継続していくことで認知度を高め、市民にとって価値ある組織となることを実現する必要がある。

結びに

 私は知っている。自分にできることがどれだけちっぽけなのかを。あなたは知っているだろうか。あなたにできることがどれだけちっぽけなのかを。しかし,こんなことも知っているはずだ。我々一人ひとりがそれぞれの立場で当事者意識をもち、家族のため、会社のため、西尾のため、国のため、そして隣で共に歩む同志のためにと笑顔で一歩を踏み出せば、それが大きな力となることを。
役割や居場所がない者など存在しない。ただし、自ら決断し一歩を踏み出さなければ今とは何も変わらないし、何も感じない。人は理想を求め、それに追いついた時に感動を覚え、また新たな扉を開こうとするのだから。だからこそ、その決断した一歩が大きな一歩を踏み出す源であることを忘れないで欲しい。小さな歩幅でもいい。時間がかかってもいい。まずは踏み出す勇気をもとう。今いる場所を、これから踏み出す場所を、そしてここで出会った人のことを素直に深く感じていこう。そこに身を委ね、動き出そう。
 我々に残されている時間は限られている。考え込むより、まずはその一歩を踏み出そう。全てはそこから始まる。

 もう一度言う。何も臆することはない。私たちは、先人たちが残してくれたこの青年会議所で同志とともに愚直なまでの意気と情熱をもって「誰かのために、何かのために」ことを成せば良い。さあ、歩き出そう。